五十猛神社(いそたけ)
島根県大田市五十猛町2348
神社正面 勇者ロトさんご提供
交通案内
JR 大田市、五十猛駅下車、駅前を東へ7分、右にガードをくぐるとすぐ。mapion
祭神
五十猛命
配神 応神天皇、抓津姫神、大屋姫神、沖長足姫神、誉田別命、武内宿禰
由緒
日本書紀の一書の伝えに、須佐之男の命が鬢を抜いて杉、胸毛から檜、尻毛から槙、眉毛を樟となしたとある。
用途として杉と樟は船、檜は宮、槙は寝棺を造るのに良いされ、そのために木種を播こうと申され、その子の五十猛,大屋都比売,都麻都比売の三柱の神がよく木種を播いた。
御子達は、父神須佐之男の命と共に、韓国の曽尸茂梨(そしもり)に天降り、その地には木種を蒔かず、これを持って日本に帰り、木種を蒔いて、最後に紀の国に赴いたと伝えられている。
『神国島根』には「この地は、須佐之男命、五十猛命、大屋津姫命、抓津姫命が半島から帰国の上陸の地との伝えがある。 磯竹村(五十猛町)の内大浦の灘なる神島に舟上り座し給いて、父神武進雄命は大浦港に鎮座し御子五十猛神抓津姫神大屋姫三柱の神は磯竹村の内なる今の宮山に御社を立て鎮り給い、それより地名を五十猛村と言う。」と由緒を記している。
本殿 八幡造 勇者ロトさんご提供
一方、五十猛命の降臨地としては、仁多郡の島上の峰(船通山)の伝承もある。更に、対馬、壱岐を経由して有明に上陸したともされている。各地に伝承があるのは、この神を奉ずる一族が、それぞれ渡来したとも思える。
またJR大田の次が静間で、「静の磐」があり、大己貴神と少彦名神の国土開拓の出発地点とされている。この神社のある海岸は日本古代史上実に由緒のある地点である。ひとえに半島とも海運の便にその故がある。
さて出雲には延喜式内社の韓国伊太 神社が六座ある。意宇郡の玉作湯神社、楫夜神社、佐久多神社、出雲郡の阿須伎神社、出雲神社(現諏訪神社)、曽枳能夜神社であって、いずれも、同社韓國伊太 神社となっている。 天保14年(1843年)千家俊信の「出雲国式社考」には、同神社の祭神は素盞嗚尊の御子の五十猛命としている。石見や出雲の他の神社では五十猛命とされている。イダテは古代朝鮮語、イタケは日本語とされる。
お姿
砂地の小山に鎮座している。神木は松である。注連縄は大きい。
お祭り
例大祭 4月9日
出雲石見の五十猛命
五十猛命ホームページ
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