大阪府の五十猛命

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河内茨田 守口市土居 守居神社 祭神 新羅明神・三井神(五十猛尊)

摂津豊島 池田市吉田町 細川神社 祭神 細川水大神、五十猛尊

摂津豊島 池田市鉢塚2丁目 五社神社 祭神 国常立尊、速素戔嗚尊、五十猛命、住吉大神、穴織大神

摂津能勢 豊能郡豊能町木代 走落神社 祭神 天照大神、建速素戔嗚命、五十猛命、水波能売神 外六神

摂津西成 大阪市浪速区元町 難波八坂神社 祭神 素戔嗚尊、奇稲田姫命、八柱御子命

摂津住吉 大阪市住吉区庭井町  大依羅神社 祭神 大己貴命、月読命、垂仁天皇、五十猛神

和泉大鳥 和泉市仏並町  男乃宇刀神社 祭神 末社 五十猛神、大屋津姫命



 守居神社
大阪府守口市土居町61番地mapion

鳥居

交通案内
京阪電鉄土居駅 北西300m


祭神
素盞嗚尊、賀茂別雷神
『社記』 天道神・太歳神・歳殺神、また素盞嗚尊・三輪明神・清瀧明神・日吉権現・新羅明神・三井神

拝殿



由緒
 祭神の一説に新羅明神・三井神とあり、近江の園城寺(三井寺)の鎮守である新羅明神をして、五十猛命としたので、当社の祭神をも五十猛命かも知れないとして参詣した。
 この近くを高瀬川(淀川)が流れていた。 『播磨国風土記』賀古の郡に、大帯日子命(景行天皇)が川摂津の国の高瀬の済(渡し)から、この川を渡ろうと思って渡し守に頼んだ。 紀伊国生まれの渡し守の小玉が「あなたの贄人(召使い)ではない。」と主張、渡し賃を取った話がでているが、 この地域即ち淀川の水運を司っていたのが紀氏の一族であったことを示している説話であろう。 紀氏の跋扈する所、紀の国魂あり、即ち五十猛命が祭神であってもおかしくはない。

本殿


お姿
 土居駅北側の商店街の一角に鎮座、参詣客が絶えない。 鳥居をくぐると右側に由緒ありそうな石が祀られている。『社記』に、西南石礫(せいなんせきれき)の渕で、「我天道神也、我を祀れと振鈴の声で告げがあった」とある神の降臨の石かも。 月例祭の日であったのでか、境内は清掃が行き届き、玉砂利をしいてある場所などへの立入禁止も守られている。 境内は広く、木々も豊かで、下町の鎮守として大切にされているようだ。


お祭り
 10月20日 例祭

磐座


『平成祭礼データ』守居神社


当社は醍醐天皇延喜十八年九月十九日(九一八年)此の地に鎮座して、素盞嗚尊・賀茂別雷神をお祀りしてあります。 社記に天道神・太歳神・歳殺神、また素盞嗚尊。三輪明神・清瀧明神・日吉権現・新羅明神・三井神とも書いてあります。いづれも淀川流域の守護神として此の地に土居を築き社殿を構えてお祀りされたのが創りで、地名を土居の庄と称し、昔は土居神社と称号されておりました。
明治五年八月に守口町大字土居字田東(現在の滝井)産土神社(祭神素盞嗚尊)を、また明治四十年十月十日に守口町字猿島(現在の桃町)大隅神社(祭神賀茂別雷神で昔は渦神社と称していた)が合祀されてより守口の総氏神として守居神社と改称されました。
当社の社記によりますと、後宇多天皇建治年間(一二七五年)釈法仍沙門、当社を以って神佛護法の道場とし、霊感によりて本地垂迹説を称へ三社の神体を奉じて祈祷修法を行い「神威の高貴なること他に異にして、親しく横難中夭の危を救い給う、諸願満足すること幾千万と云う数を知らず」と記されてあり往時より御神威の赫々たる事が伺い知られます。
後小松天皇嘉慶年間(一三八七年)此の地方にも兵乱起り疫病頻りに流行したので人々殺生五辛を禁断し僧不閑沙門当社に祈願して災厄を静め難を遁れたとされています。
次いで後花園天皇寛正四年(一四六三年)再び悪疫流行のあった時、嘉慶の例にならい悪事災難を除く為に美花を作りて祭祀を修し、鎮花の災祭を行ったとあり、現今の夏祭として今に伝えています。
天文十三年(一五四四年)に林海の記した当社の由来記、又寶暦十三年(一七六三年)圓龍の写書等によりますと、天文十三年七月九日前代未聞の大洪水があり大門鳥居流失し社殿失損寳殿流損したので地方に寄進を仰いで辛うじて其の社域を再興した。この時まで王城守護として北東向きであった神殿を南向に、寶殿を改造し営構したが昔日の結構には遥か及ばなかったという記録がみえます。
昭和九年九月二十一日の室戸台風で社域の惨状恐懼の至りと成ったので氏子崇敬者の寄進を仰いで境内地を拡張し現今の社殿に造営営繕が進められ昭和十六年十月総工事竣成し遷座奉祝祭が盛大に執り行われました。
昭和二十三年六月当社奉賛会結成発足、爾来、逐年境内整備・社務所新築・社殿屋根造替・石玉垣・社號標建立・手水舎造替・大石磨鳥居建替・狛犬燈籠奉献等諸施設竣成し、遠近の参詣者は日増しに多く、諸願満足・悪疫防除・災厄解除・開運繁栄・福徳守護の御神徳益々輝いています。



参考:『守居神社御由緒』





細川神社(ほそかわ)
池田市吉田町 infoseek

交通案内

 阪急池田よりバス久安寺方面木部下車西北1km

祭神

細川水大神、五十猛尊
調査書籍「大阪府史蹟名勝天然記念物」では細川水神、素盞嗚尊、菅原道真公とされる。

鳥居

由緒

 実際の所、祭神は不詳、創建年代も不明である。これは大方の神社に当てはまる。 この奧に真言宗の久安寺があり、その奧院として、毘沙門天と呼ばれていた。
 この辺りは古代氏族「秦氏」の居住地であった。井口堂の二子塚古墳(6世紀)は新羅によく見られる双円墳であり、鉢塚の鉢塚古墳も古墳時代後期の一辺40mの日本屈指の大きさの上円下方墳である。 「秦氏」の勢力を物語る。山城の大酒神社は秦氏の祖神を祀った神社であるが、別殿に呉織・漢織の神が祀られている。 それと同じように近くの伊居太いこた神社には穴織大明神が祀られ、呉服くれは神社には呉服大明神が祀られている。

 平安中期の坂上氏の一族土師氏が土着し、その伝承を持ち込むとともに、秦氏の伝承を引き継いだものであるとされる。 秦氏や坂上氏とこの細川神社との関係は明らかではないが、坂上田村麿は蝦夷征服の道筋で五十猛命を勧請している。強いて祭神の由緒にこじつけれるか。

 神社は木部と呼ばれる地域の山側に鎮座している。名の通り、植樹造園業者が多い地域であり、平地にも養生中の木々がきれいに並んでいる。
 細川地区は日本最古の植木の産地とされている。ここに植林の神である五十猛命が祀られているのはうなずけるのである。
 また木部を絹延[きぬのべ]の転訛(絹延橋がある)とし、やはり織物に関わるとの見方もある。
 また物部氏の為奈部首の斎祀った神社との説がある。*1

お姿

 旧吉田橋を西に渡り数百メートル程すすみ、北の山の方へ行くと赤い鳥居が見え、その奥に木々に埋まった社殿が見える。 社殿の背後は山裾であり、檜などの多くの木々が密集している。 社地は広くないが、掃除が行き届き、誠に美しく保たれている神社である。
 余野川を遡れば真言宗久安寺がある。朱塗りの楼門は国の重文、密教教学の曼陀羅思想の庭は四季折々の花が咲き乱れる。名刹である。

社殿

お祭り
 古代の名残である禰宣制度が伝わる。東山から11名、吉田から3名が選ばれ、年長者が神職となる。
例祭 

*1 大いなる邪馬台国(鳥越憲三郎)講談社
大阪府神社史資料
大阪府の歴史散歩 山川出版社

平成13年9月11日改訂


五社神社
池田市鉢塚2丁目4番28号 infoseek



交通案内

 阪急宝塚線石橋より 西へ10分一乗院を北へ3分



祭神

国常立尊 相殿 速素戔嗚尊、五十猛命、住吉大神、穴織大神
「大阪府神社資料」では五十猛神ではなく八十猛神と記している。

鳥居



由緒

  奈良時代、聖武天皇の神亀元年(724)に僧行基が、この地に多羅山若王子(釈迦院)を創建し、その鎮守社として五社神社を奉祀した。 天正年間兵火にあい焼失したと言う。
 この神社から北へ2kmにある久安寺は神亀二年(西暦725年)、聖武帝勅願で行基の開創。後に久安元年(西暦1145年)近衛帝勅願賢実により中興という古刹です。

 行基は堺市家原寺が本貫地で天智7〜天平勝宝元年(668〜749)の生涯で四十九もの寺社を建てた僧でした。父は高志氏。高志氏は王仁(わに)の後裔とされる西文(かわちのあや)氏の一族で、即ち百済系渡来氏族。母は河内国大鳥郡の蜂田首の出自です。。 灌漑利水の施設を多く作り、農業生産の向上を指導したことなどで行基菩薩と呼ばれるほど、民衆の絶大な信頼を集めたので、国も東大寺大仏建立事業には、行基の力を抜きには出来なかったようでした。 その出身と事業を描いた、家原寺所蔵の「行基菩薩行状絵伝」三幅は、国の重要文化財に指定されています。



お姿

 社殿の再建中であった。平成十四年秋に完成するそうだ。 本殿の真後ろに古墳がある。上円下方墳と言う珍しい形で、巨大な横穴式石室を持つ。6〜7世紀頃のこの地方の豪族の墓と推測されている。 鎌倉時代に作られた石造の十三重塔が玄室内にあり、重要文化財に指定されている。

古墳入り口



奥宮


お祭り

例祭 

大阪府神社史資料


池田警察署HP

平成13年9月11日


 走落神社(はしりおち)
豊能郡豊能町木代 infoseek



交通案内

 茨城余野線木代

祭神

天照皇大神、建速素盞嗚尊、少彦名命、稻倉魂神、五十猛大神、水波能賣神、白山姫神、應神天皇、天武天皇、武内宿禰命

由緒

 小玉神社の地に藤森神社の本殿を移したものである。

 社伝によるとこの神社の鎮座する木代庄は、平安時代末期、貝川三位長乗が一族三十六人を率いて、 都より来り開発の鍬を打ち込んだのが始まりと伝えられている。 そして木代、切畑、大円という三村を開発した。 この時の三ヶ荘の氏神として、木代庄大円村に延喜式内走落神社を創立したとなっている。

 かって式内社とされた走落神社は既に失われていたのであろう。再建したと理解できる。

 神社の説明によると「走落」の社名と走落神社周辺の地名等から走落神社創生当時、 その近辺に病気に効験のある冷泉か、温泉が湧出しており、湯治に集まった人等の尊崇を集めた神社ではないかと思うと解説されている。 先ず「ハシル」は、万葉集でも「岩走る垂水の」等、水の流れる形容に使われており、 この様な事から「水が流れ落ちている所にある神社」ということが考えられる。 又、走落神社が三社に分散した時の一社に「走湯天王社」があり、 この社名は“湯が迸り出ていた”と解することが出来る。とある。

 五十猛命が祀られている由緒は今となっては解らないのであるが、能勢の山中であり、 また地域の名前が「木代」であることからも、植林製材に関わる民人が奉戴したものであろう。

お姿

 鳥居から石段を30段ほど登ると三間社流造の立派な社殿がある。 大きい檜が社地内に多い。たたずまいの良い神社である。


社殿


鳥居




お祭り

例祭 10月15日



 難波八坂神社
大阪市浪速区元町2-9-19 mapion



交通案内
難波駅 南西500m

祭神
素盞嗚尊、奇稲田姫命、八柱御子命
それ以外多くの神々

由緒
 古来、難波下の宮と呼ばれていた。仁徳天皇の御宇、難波の地に悪疫流行した時に、この難波の浦の万木森々たる所の松ノ樹に牛頭天王の霊地との文字現れ、ここに社を設けて大神を祭祀したと伝えられている。 また、姫路の広峯神社より京都の八坂神社へ勧請する際、神々がこの地に到着されたのでお祀りをしているとの地元の方の説明があった。 創建年代は不詳である。元佛寺であり、七堂伽藍巍々として聳えて寺院十二坊を数えた。今の大門坊深妙寺はその一である。

 さて、五十猛命をお祀りしている神社を紹介する試みのこのページに、五十猛命もその一神である八柱御子をまとめて祭神としている神社を入れると、その数は相当に増加する。 選定基準を明確にしておく必要があるのだが、大阪、京都あたりは近場でもあり、五十猛命を祀る神社が少ない事もあるので、取り上げることとした。五十猛命の神徳より素盞嗚尊の神徳で祀られている場合の方が多いので、五十猛命を奉ずる人々の歴史を知っていくには、寄り道となる。

お姿
  大阪南の町衆が神社造りをすればこの様になると思われる典型的雰囲気の神社である。古来、綱引きや獅子舞が盛んに行われていた祭り好きの人々はついに大獅子殿を建ててしまったのである。 なやみごと、やくよけはこちらで祈願しましょうと神社のパンフレットにも書かれている。画面の左隅の人々や自動車と比べてみて下さい。


 拝殿の両側には大きい石碑があり、素盞嗚尊が神剣を獲られた事、和歌を初めて詠まれた事を称えている。
 境内には木々が多く、難波の町中に当たるが、やはり神域は落ち着いたたたずまいである。

 所で、とてつもない話がある。出所は言えませんが、この神社には実際に神々が出現するそうだ。
 とある別の神社の神職さんがこの神社の神職さんと話をしていたら、しきりに二階のほうが騒がしいので、「二階にどなたかがおられますか?先ほどから走り回っているような音が聞こえますね」と申し上げたら、 「あー、あれは式神です。遊んでいるのでしょう。所で、ご覧頂いたと思いますが、この建物には二階はありません。」

 もうひとつは目撃談です。そのよのと神職さんが本殿前の廊下を歩いていたら、白装束の一見宮司さんかと思われる方とすれ違い、脇によけて一礼をしました。 宮司さんは、本殿の奥の方へ進んでいきました。「あれ?今日は宮司様は不在と聞いていたのに」と思って、この神社の留守番の神職さんに「宮司様はお戻りになっていますよ」と申し上げたら、 「いや、今日は戻りません。」「しかし、今お目にかかりましたよ」「あ、また出られましたか。かの方はこの神社の神様です。外出からお戻りになったのでしょう」「えーえ!!」 「私などは良くお見かけします。神様の位ではさほど高い位の方ではないようです」 と、門外漢には不可解なことがあるそうです。

拝殿

お祭
例祭 7月14日 10月14日




 大依羅神社(おおよさみ)
大阪市住吉区庭井町 mapion

池側の鳥居

交通案内
大阪地下鉄御堂筋線我孫子 南東500m 阪南高校 東

祭神
大己貴命、月讀命、垂仁天皇、五十師宮(五十猛命)の四座または住吉三神、建豊波豆羅和気王 合祀 草津大歳大神、奴能太比売大神、建速須佐男大神、奇稲田媛大神、八柱御子大神、大山大神、素盞嗚尊二座

由緒
 延喜式神名帳には、大依羅神社四座とある。
 神皇皇后に、神告していわく 我荒魂は先鋒を成して兵船を導んとたくし給ふ。帰朝の後吾孫子の某をもって社を守らしむ。毘沙門の宮とも言う、と伝わる。
 祭神の建豊波豆羅別命は開化天皇と葛城垂見宿彌の女タカヒメとの間に生まれ、道守臣、忍海部造、御名部造、稲羽忍海部、丹波之竹野別、依羅阿毘古等の祖であると言う。 依羅安孫氏は住吉三神の祭の神主とされている。
 依羅連は日下部宿彌と同祖、彦坐命の後、百済人素彌志夜麻美乃君より出づる、また饒速日命十二世の孫懐大連の後とあり、 さまざまな系統があったようである。

 八十島祭りにも奉仕料を受け、住吉大社に次ぐ扱いを受けていた。
 南北朝時代に依羅氏が滅亡すると共に社運は衰えたようである。
 明治になり、式内草津大歳神社、式内奴能太比売神社など五社を合併した。

 神功皇后の出兵、住吉、池、船とこの神社の周辺木材の匂いが濃厚であり、五十猛命を奉祀する人々がこの地に住んで造船などに従事していたのであろう。

神木の楠と拝殿


お姿
  南側の参道前には依網池跡の石碑が建っている。南北に山門があり、寺院風である。参道の両側には桜の木が植えられ、その向こうは阪南高校の運動場とテニスコートである。
 境内には神木の大きい楠木がある。槙、樫など木々が多く、夏休みで近所の家族連れが蝉とりをたのしんでいた。

本殿


 泉が涌いていたらしく、その井戸跡に「たたへたる清水涸れても町に名になじみてふかし庭井の泉」と神主の和歌を刻んだ石碑がある。
神社の西南の雨乞井に龍神伝説がある。
 依羅池に龍蛇神が住んでいた。ある日河内の農夫が通りかかると、美人が声を掛けた。 「私はこの池に久しく住む龍神です。先頃より鉄具が池に沈み、我が身にさわって、傷を受けています。この鉄を取り除いてほしい。」と頼んだ。 農夫は泳ぎができないと答えると、龍神は「我が力にて水辺まで打ち出す。御身はこれを取り除き、二度と池には入らない所に運んでほしい。」と言い、 にわかに天地晦瞑となり、暴風が起こり、波は池水を捲いて天を衝くようであった。たちまち鎮み、婦人が現れた。農夫は水辺の農具の萬鍬を持ち帰り、固く封をした。 以来、祈雨の効験あらたかであった。

 摂社には御祭神名が丁寧に書かれていた。

依網池の址の碑と元の神社正門

大依羅神社と依網池の字が一字異なるのは、地名を社名とする場合には文字を一字変えておくのが神に対する礼儀であったという。 社殿は、昭和44年に元の社殿が火災で焼失、南向き社殿を東向きにして昭和46年に再建されたもので、この時に正門も北側に変更されている。

お祭
例祭 4月16日 夏祭 7月12日 秋祭 10月12日

日本の神々3(東瀬博司)白水社



 男之宇刀おのうと神社
大阪府和泉市仏並町1740 infoseek


交通案内
JR府中駅南300M、南海泉大津駅もしくは泉北高速泉中央駅より槙尾山方面行きバス「神社前」下車

祭神
彦五瀬命、神日本磐余彦尊、五十瓊敷入彦命

摂社 八坂神社 速須佐之男命、應神天皇、奇稻田姫命
末社い 抓津姫命
末社ろ 五十猛命
末社は 大屋津姫命、天津彦根命

由緒 

 式内の男乃宇刀神社は二座である。
 彦五瀬命は神武天皇の兄で、東遷の際、生駒山で長随彦との戦いで矢傷を負い、当地の豪族横山彦がここに迎え、駐輦したとの縁起により祀られていると社伝にある。  五十瓊敷入彦命はこの地を領した縁故によって元慶年間に奉祀された。この垂仁天皇の王子は1000本を鋳造し、石上神宮に奉納したと伝えられている。 ここより南の南海本線淡輪駅の近くに「宇土墓」古墳があり、命の墓とされている。
 五瀬命は神武天皇の兄であり、「兄之」は「男之」に変化したのだろうが、矢傷の痛さの雄叫びから、 命に「お」の音か形容され、上陸地点を「雄の湊」と称したりしているとの解説もある。 「男おの神社」が南海本線樽井駅近くにあり、やはり五瀬命と神武天皇が祀られている。
 この神社の名も恐らく五瀬命の「おの」と五十瓊敷入彦命の「うと」が重ねられたものだろう。

 五十猛命兄妹が祀られているのは、八坂神社を合祀したものであり、 八柱御子神を祀ったもののいくつかは忘れられたのであろう。 八柱の神々が全て伝わらなかったのである。どちらかの神社に荒廃の時期があったものと思われる。

拝殿




お姿

 西国三十三霊場四番札所の施福寺への道筋に鎮座。
 鳥居をくぐり急な石段をようやく登りきると一寸した空間に出る。その向こうに大きい拝殿が目に入る。 更にその背後を大きく覆っている木々に圧倒される。楠、杉などである。 拝殿をくぐると祈祷殿があり、その後の本殿は風格がある。流造である。
 神主の祝詞の声が聞こえていた。

 摂社、末社は数多くあり、賽銭箱は全て置かれていたが、社名、神々の名を記したものは一つもなっかた。

鳥居と石段



お祭

秋季例大祭 10月10


五十猛命ホームページ
神奈備にようこそ