粟嶋神社
海南市下津町方1101



鳥居

交通案内
きのくに線 加茂郷 西南西へ徒歩25分 mapion


祭神
少毘古那神


摂社
八幡神社「應神天皇」
蛭子神社「事代主神」
百拝神社「祭神不詳」
浜ノ宮神社「天照皇大神」


戎神社「事代主命」
浜戎神社「事代主命」
牛神社「祭神不詳」
道祖神社「猿田彦命」
厳島神社「市杵嶋姫命」
辨天神社「市杵嶋姫命」
八坂神社「祇園天神」
傳神社「祭神不詳」
稲荷神社「倉稻魂神」
金刀毘羅神社「崇徳天皇」


拝殿(向唐門)



由緒
  社伝によると、当社は、景行天皇二年八月、二十一人の民人が少彦名命降臨の地粟 嶋におまつりしたのが始まりであるという。当時粟嶋は島であり、その崎硯浦の森に 宮居を営み、奉仕した民人二十一人が方(かた)村を開いたとされる。今も、その遠 い子孫が、宮座として、神社に奉仕している。
 以来、神社は次第に栄えた。浜中荘領家が京都仁和寺に送った古文書は、文永年間 (一二六四−一二七五)、当社が浜中荘領主からの寄進地をもち、現在地宮ノ谷へ遷 座されて荘厳を極めていた事実を明らかにしている。
 海路の安全を守るという御神徳は、中世以来、深い信仰を集めた。正平十二年(一 三五八)、征西宮懐良親王が西海に赴く道すがら、海難を克服できたのは、侍臣渡辺 某が粟嶋さまの御加護をお祈りしたからだとして、豊後に分祠をおまつりしたと伝え られる。
 当神社の御神威は、豊饒や海路の安全を祈る人々によって広く語りつがれている。
 また、万葉の昔から、縁結びの神として有名。

 また医薬、ムスビの神として女性の信仰ことにあつく、千羽鶴や女の肌身につける品などが多数奉納される。



お姿
 集落を野南側、宮川にそった森である。神仏習合が昔ながらに存在するよう配置である。


本殿(春日造)


お祭り
 9月 上午の日  火頭祭  10月14日 秋祭

紀伊續風土記 巻之二十五 海部郡 濱中荘 方村から

○粟島明神社  境内周二町
           八幡宮
 本社三者 祀神 粟島明神
           恵比須社
 
     拜 殿  玉 垣  鐘  楼  廳
     鳥 居  本地堂   

小名中山にあり 社傳詳ならす 按するに加太と方と同名にして神名又粟島と称する時は中古加太の粟島を勧請せるなへし  社殿壮麗なり 本地佛虚空蔵 木を以て岩壁を作り其中間にあり 小佛にて古色あり

    境外末社
     浜 宮 
 小名硯井にあり   辨財天社  小名姫の淵にあり
     塞 神 
 宮川の傍にあり   牛  神  北原の東にあり
        神  主    宮 本 氏
        別  當    龍泉寺  
粟島山
          天台宗浜中長保寺末
 

平成祭礼データから

 社伝によると、当社は、景行天皇二年八月、二十一人の民人が少彦名命降臨の地粟嶋におまつりしたのが始まりであるという。当時粟嶋は島であり、その崎硯浦の森に宮居を営み、奉仕した民人二十一人が方(かた)村を開いたとされる。今も、その遠い子孫が、宮座として、神社に奉仕している。
 以来、神社は次第に栄えた。浜中荘領家が京都仁和寺に送った古文書は、文永年間(一二六四−一二七五)、当社が浜中荘領主からの寄進地をもち、現在地宮ノ谷へ遷座されて荘厳を極めていた事実を明らかにしている。
 海路の安全を守るという御神徳は、中世以来、深い信仰を集めた。正平十二年(一三五八)、征西宮懐良親王が西海に赴く道すがら、海難を克服できたのは、侍臣渡辺某が粟嶋さまの御加護をお祈りしたからだとして、豊後に分祠をおまつりしたと伝えられる。
 当神社の御神威は、豊饒や海路の安全を祈る人々によって広く語りつがれている。また、万葉の昔から、縁結びの神として有名。
  以上

古代史街道 紀ノ国編
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