水門・吹上神社(みなと・ふきあげ)
和歌山市小野町2-1 mapion


交通案内
南海線  難波→和歌山市 (60分  円) 南西へ15分

祭神
 御子蛭児神、大己貴神

由緒
 神武東征時、兄五瀬命の崩御された場所と伝えられている。「男水門」である。
七福神の内二柱をお祀りする神社は珍しい。エビス様とダイコク様である。吹上神社の合祀による。

お姿
 境内に神武天皇聖蹟男水門顕彰碑がたっている。鉄筋コンクリート製の本殿である。

拝殿


お祭り
6月30日 大祓式(輪くぐり)
9月18日 例祭
1月10日 十日戎

紀伊續風土記 巻之四 若山上 若山神社部から


○恵美須社
      境内周八十間 禁殺生
○吹上社
  恵美須ノ社 三間半 四間 吹上ノ社 三間 四間 御供所
   神樂所  神庫  潔齋所  廰舎  鳥居
   神 厨  齋 館  舞 殿  廐
  末社九社
   天満宮  鎭守社  辨財天社
   八幡宮  十二所社  稻荷社四社
   八幡宮     小祠四社相殿
小野町二町目古名雄ノ芝といふ所にあり 湊及び吹上の産土神なり 古は二神相殿に祀れり 今二社相並ふ基本は恵美須社は湊の産土神にして吹上ノ社は吹上の産土神なり 當社又聞名[ブンメイ]大明神又湊大明神といふ又湊大明神といふ又唯恵美須社ともいふ 其稱皆恵美須1社の稱なり 兩社に通する稱とするは吹上ノ社は後に此地に合祀せる神なればなり 社家舊説曰昔蛭子ノ像自海中逆流到此處取而葆祀之稱聞名大明神ト社ノ傍ニ有芝號ス雄芝社記神田 畠山家多寄附スト神田ヲ云  天正之亂悉亡失せり矣其詳ナル不可知也或傳大永三年(1523年)六月二十三日始テ祭ル于此ノ地ニ 一説に此神舊は和田浦雨ノ島にあり明應ノ比和田浦高波に跛られ村民神祠佛宇と共に湊村に移る 此ノ神も其時此地に移れるなりといへり 是恵美須社鎭坐の來由なり 吹上ノ社のこと宇津保物語及西行の歌に見ゆ 又朝野羣載に紀伊國小野社とあるも吹上ノ社の事ならむ 此神舊[モト]は今の湊植松町[ウエマツチャヤウ]ノ南大松の下に鎭り坐せしを天正年間(1573年〜)雄芝に移し奉り恵美須ノ社と合せ祀れるなり 當社中世は兩部の社にて今の湊善福寺は舊[モト]聞名大明神の奥院なりといふ 兩社の事其詳なるは神社考定部に辨せり 明暦ノ記に恵美須ノ社領畠山家多く寄附あり 慶長四年(1599年)桑山法印神田三段を寄附せり 同六年淺野家三石寄附あり 元和の制これを襲用らる
恵美須の祭禮六月二十三日古は牛祭とて名高き神事ありしとなり今十一月二十三日の祭に牛の舌餅とて大なる熨餅を投ることあり 吹上ノ社は九月十八日を神事とす
神主を秋津氏といふ



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