名草戸畔を祀る三社
宇賀部神社、杉尾神社、千種神社
三社の由緒
名草の邑の名草戸畔はおそらくは卑弥呼と同じく国の祭祀を司っていた女王であった。
そこに侵略してきたのが磐余彦(神武天皇)の軍である。食料・物資と兵士の調達、紀ノ川の水運の確保などこの地は大和攻略とその後の政権維持の戦略上の拠点であり、
完全に制圧する必要があったのだろう。
女王軍の抵抗むなしく、名草戸畔は残酷にも頭、胴、足と切り刻まれたのである。
日本書記には「賊を誅す」とあるが、負ければ賊軍あつかいである。邑人は捨て置かれた頭、胴、足をそれぞれ葬り、祀ったのである。*1
その三社を紹介する。 地元の人々の生活の中で言い伝えられてきた伝承は息が長い。そこに神社の形をとると一層長く伝えられるものである。
宇賀部神社(うかべ)(おこべさん)
海南市小野田917 mapion
優雅でひっそりとした、まとまった感じの神社である。本殿は美しい。神木の栂の木が見事である。地元の人々の名草姫へ想いは2000年近く経った今もあつい。
「頭」の神様として、受験生の親に人気があり、海南、紀三井寺近辺の多くの人々がお詣りするとの事である。城山が神奈備。ルバング島の小野田寛郎さんの本家が宮司を勤めておられる。
祭神 宇賀部大神(軻遇突智命)、荒八王子命、誉田別命
交通 オレンジバス野添 北1500m
本殿

拝殿
お祭り 例大祭 10月14日、冬祭 11月23日、宇賀部講社祭 11月第一日曜日
杉尾神社(おはらさん)
海南市阪井1858 mapion
簡素で古い神社である。拝殿の右側の家の子供が元気に水遊びをしていた。「はらかたさん」とも呼ばれているお腹の神様となっている。「お腹痛けりゃ杉尾のお宮、腹のくろいのはなおりゃせぬ」と伝わっている。
「O−157」なる菌がこの夏(H8年)に蔓延しているが、暑いさなかか、お詣りの人はいなっかた。神社の右上の山に八坂(祇園)神社が摂社として鎮座している。
名草姫神と素尊(須佐之男の命)とが繋がっているとすれば、素尊の子の五十猛命が最後には紀州に来たとされているが、姫はその末裔かとも想像できる。高倉山が神奈備である。
祭神 大山祇神、誉田別命
交通 オレンジバス坂井北300m
拝殿

階段

『平成祭礼データCD』神社本庁
当杉尾神社の御鎮座は巽村大字阪井字玉輪山、人皇第四十五代聖武天皇御字神元亀甲子年十二月勧請されたと伝えられている。しかしながら、杉尾神社という名称がどのようにして付けられたかは不明である。また、いつの時代からか、「おはらさん」としても人々に崇敬されるようになった。
伝承によると、和歌の浦のどの浦か定かではないが、大きな龍が流れつき、どのような場所に葬るか占ったところ、「その浦より巽の方角にまつれ」と言われ、腹部を当神社におまつりになったという。このころから、おはらさんとして崇拝され始めたのであろう。
当社の八幡宮については、元亀年中に仁和寺号、厳島御宝、御奈良院御樽子の二品仁助親王により修造されたのか、その時の棟礼が残っている。
また、奇しくも、赤穂浅野家とも関係があるらしく、浅野家による検地があったという。 |
お祭り 6月7日 夏季例祭、6月29日 輪くぐり
10月15日 秋季例祭
紀伊国名所図絵 杉尾神社

千種神社(あしがみさん)
海南市重根1125 mapion
小高い丘の上に鎮座している質素な感じの古い神社である。 神社名を記して掲げられている額は竈山神社の宮司の手になるものである。
名草姫を惨殺した仲間の五瀬の命を祀る神社の宮司である。恩讐を越えて弔っているのであろうか。
御神木の檜はすごい。二本の足を天に向かって立てている。Y字型は神聖とされ豊饒の象徴でもある。 鳥居の両サイドには狛犬と楠と杉の木がある。この楠は樹齢700年を越え、中に地蔵を巻き込んでいるが今は見えない。
千踵神社の楠
準網市凱野の千秩紳社坑内の楠の傍らに地蔵尊をまつっていたところ、木が大きくなるにつれ触蕨専は木に拳き込まれ れてしまったといぅ。「行たら見てこら賓税の官の瑞に巻かれた地蕨尊」(伴済)
祭神 草野姫神
交通 オレンジバス重根農協300m
拝殿と神木(やや右側)

『平成祭礼データCD』神社本庁
古くは「百草神社」(ももくさ)と呼ばれた。勧請年月日が詳かではないが、『紀伊続風土記』に「田津原、伏山、大谷、三ヶ村の産土神なり。祀神詳かならず、百草は地名と見ゆ。応永・永正などの文書に百草の森の名見えたり云々」とある。旧記に「百草明神は人皇第三十六代孝徳天皇大化三丁末年雨ノ森と言ふ所へ御鎮座、右末社七社有云々」とある。
「雨ノ森」とは百草の森のことと考えられるので、いずれにしても相当古くからのものと思われる。明治四十三年、熊野神社(海南市別所)及び八王子神社(海南市扱沢)を合祀、社号を千種神社と改めた。いつのころからか、神前に履物を供え、足腰の無病を祈る風習があり、足神様として崇められている。
境内には樹令七百年を越える老楠があり、中に地蔵を巻き込んでいる。里謡に「行たら見て来ら、重根の宮の、楠に巻かれた地蔵様」というのがあるが、今はその部分はコブになっていて地蔵様は見えない。 |
お祭り 祈念祭 4月3日
したたかな名草邑の住人
さて、古事記には五穀の起源を語る神話として、須佐之男の命が大気都比売(おおけつひめ)を殺した際、姫の体の各所に五穀が発生するとの話がある。
モルッカ諸島の神話にも、「殺された死体を切断して各所に埋めると、死体は芋等に変わった」との、食物起源を語るものがある。*2
土偶は女性を象っている物が多く、やはり壊されて各所に埋められている。これも五穀豊穣の祈念であったとされている。
新しい支配者に殺された元の支配者名草姫の遺体は、南方諸島と照葉樹林文化を共有する名草の人々の手によって手厚く葬むられたのであるが、
この際、この地名草邑の五穀豊穣を祈念して遺体を切り刻み、葬ったものとも推定できる。地を耕す者はしたたかなのである。
健脚コース案内と交通
伊太祁曽神社から歩く道筋を紹介する。まず奥須佐の方へ歩く。途中に須佐神社がある。鳥居から階段を登るとコンクリートの祠がある。
更に行くと阪和自動車道が見えてくる。ここまでは熊野古道である。三叉路を左に行くと宇賀部神社の鎮座する小野田である。 (寄り道)右に行って阪和自動車道をくぐり、二ツ目の道を少し行くと武内神社がある。武内宿禰の誕生の地とされている。(寄り道終わり) 三叉路に戻り、ドンドン歩き阪井に至る。細長い丘陵に団地があり、さらに行くと法輪寺と老人ホームが見える。寺の向こうの山すそに宇賀部神社がある。
ここから南西に行く。川を渡る手前で川沿いに東の方へドンドン行く。町並にはいると杉尾神社の看板がある。
神社から少し戻って南へ入る。巽に行く。道の左奥に大きい楠の木が見えてくる。千種神社である。
バス停があり、海南駅前か和歌山市駅へ行ける。30分に一本程度である。
三社の祭神
名草戸畔の頭、胴体、足をそれぞれ祀ったのだが、時の支配者への配慮と、切り刻んだこともあって、三社は名草姫を祭神とはしていない。
関連する神社
日前国懸神宮
中言神社(吉原) 名草姫命(南吉原バス停を西へ、名草山の東裾)
中言神社(黒江)
参考文献 *1 謎の巨大氏族・紀氏(内倉武久)三一書房
*2 日本の神々(平野仁啓)講談社現代新書
紀の国 古代史街道
丹生都姫伝承
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