紀の温泉[ゆ]に幸[いでま]せる時、額田王のよみたまへる歌
9 莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣
吾瀬子之 射立為兼 五可新何本
静まりし浦波さわぐ我が背子がい立たしけむ厳橿いつかしが本
静まってた浦の波がさわいでら、そやなー、この御神木のとこは、あがのいい人が立ってたとこやして
原文前半は「莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣」であり万葉難訓歌である。竈山の霜きえてゆけ(本居宣長)、紀の国の山越えてゆけ(加茂真淵)、みもろの山見つつゆけ(鹿持雅澄)などの読みがあるが、ここでは、敢えて難訓とした額田王の意を汲んで、焼けぼっくりに火がついた恋心を示す読みとした。
和歌山市西庄木本八幡宮 和歌山市和田竈山神社
中皇命[なかちひめみこ]の紀の温泉に徃[いま]せる時の御歌
10 君之齒母 吾代毛 所知哉 磐代乃 岡之草根乎 去来結手名
君が代も我が代も知らむ磐代いはしろの岡の草根をいざ結びてな
おまんいつ死ぬねん、あがいつ死ぬんやろ、磐代の岡の萱が決めるんやて、これ結んじゃるよって、伸ばしてもらおら
11 吾勢子波 借廬作良須 草無者
小松下乃 草乎苅核
我が背子は仮廬作らす草かや無くば小松が下もとの草かやを苅らさね
あがのーがよ、仮の廬を作っちゃらいしょ、屋根の萱たらなんだら小松の下のん取ったらええわして
12 吾欲之 野嶋波見世追 底深伎
阿胡根能浦乃 珠曽不拾
吾あが欲りし子島こしまは見しを底深き阿胡根あこねの浦の玉ぞ拾ひりはぬ
あが見てぇー鹿島はめぇたんやけど、底の深けぃ阿胡根の海の真珠まだひろてぇないんやして
右、山上憶良大夫ガ類聚歌林ヲ検カムガフルニ曰ク、天皇ノ製歌ト云ヘリ。
紀伊国に幸せる時、川島皇子のよみませる歌みうた
或ルヒト云ク、山上臣憶良ガ作(9-1716)
34 白浪乃 濱松之枝乃 手向草
幾代左右二賀 年乃經去良武
白波の浜松が枝の手向たむけぐさ幾代まてにか年の経ぬらむ
白い波がよいてくる浜の松の枝に手向たもん、なんぼぐらい前からほらっくっちゃんのやろ
日本紀ニ曰ク、朱鳥四年庚寅秋九月、天皇紀伊国ニ幸ス。
勢[せ]の山を越えたまふ時、阿閇皇女[あべのひめみこ]のよみませる御歌
35 此也是能 倭尓四手者 我戀流 木路尓有云 名二負勢能山
これやこの大和にしては我あが恋ふる紀路にありちふ名に負ふ勢の山
これかいな、わいが大和でおもぉてた、ほれ、紀伊の道にあるちゅうてた勢の山かいな
太上天皇「持統」の紀伊国に幸せる時、調首淡海[つきのおびとあふみ]がよめる歌
54 巨勢山乃 列々椿 都良々々尓 見乍思奈 許湍乃春野乎
巨勢山のつらつら椿つらつらに見つつ偲はな巨勢の春野を
巨勢山のつらつら椿をとっくり見もて巨勢の春の野をほめちゃろかえ
御所市古瀬巨勢山口神社
55 朝毛吉 木人乏母 亦打山 行来跡見良武 樹人友師母
麻裳あさもよし紀人きひと羨ともしも真土山行き来くと見らむ紀人羨しも
紀伊の国の人ええやん、大和へ行ったり来たりのときよ、真土山めえるよってんええやん
紀ノ川沿い
56 河上乃 列々椿 都良々々尓 雖見安可受 巨勢能春野者
河上の列列椿つらつらに見れども飽かず巨勢の春野は
河上のつらつら椿、がいに見てても巨勢の春の野はたったせんれ